岡山後楽園庭園の鯉/善徳作品庭の切り株/日向細島漁港の岸壁/倉敷美観地区渡し舟/団栗コロコロどんぶりこ

  多布施川藻様【2023.03.05上梓 2025.01.10更新<佐賀市多布施住人 木浦>】
 「多布施川藻様」も三年目に入りました。昨年末、郷里「延岡」から、私が投句している「俳句誌 椎の実」誌友の訪問を受けました。後にも先にも、私が誌友なるものにお会いしたのは初めてです。この歳まで全くの一匹狼でした。お会いして、やはり“友は友”です。いいもんですね。二人目、三人目の誌友に巡り合う年になればなあ~!  ・おりおりのうた日誌(再掲版/第六稿 2025.06.10掲載)
  多布施川藻様月誌【令和七年版 2025.05.10更新】
 この「多布施川藻様」を公開し始めて、種々の原稿・残骸を拾い集め、遡ること2018(令和元年)以降の約九十ケ月分、九十項目の小話が完成しました。目指せ百項目です。
 昨年は、コロナ禍も収まり、久しぶりに県外に飛び出す機会を得ました。岡山倉敷まで「教え子の古稀同窓会」出席旅行(家内も伴って)、鳥取県へ「ネンリンピック参加」を出しに観光旅行?。これを皮切りに今年は、吟行旅行をしてみようかなと思う年頭の初夢です。
 白内障の手術も終え、久し振りに視界鮮明 ~見える物が観えるようになった余生、じっくり診てみよう~かな
  
2025年06月 2025年05月 2025年04月 2025年03月 2025年02月 2025年01月 トップへ更新 2025.06.10
   製造はふる里の陽目刺し買ふ(2025.06)
 漁師生れのくせに魚の骨が苦手である。我が家では“きびなご”にして“揚げ物・煮つけ”にも頭を落としてからの料理である。煮つけでは、食べる時、箸で中骨を除く。変な表現だが、家内曰く「芸術的な食べ方」と言う。とは言え、子供の時は、朝昼晩、魚魚魚であった。しかも、雑魚ばかりが卓袱台に並ぶ。鯵、鯖、鯒な。昭和年代は、鯛や鱚や海老などは高級魚で、漁師の稼ぎ頭であり、漁師自身の口には入らなかった。
 現在の魚は、沿岸から沖合、更に遠洋漁業で、漁師が大海の中で宝探し然として捕ってくる魚と、養殖する魚と、外国から輸入する魚で口を潤しているようだ。昔に比べると、店に並ぶ魚は豊富で、不思議にも庶民が口にするのは、鯛やハマチやエビ(養殖物)等の昔の高級品で、安く、品ぞろいである。養殖技術の進歩の賜物であろう。
 されど反面、昨今の新聞情報によると「子供の魚離れが進んでいる」とある。年代別に1999年と2019年の魚介類摂取量変化がグラフ付きで解説されていた。何のことは無い、子供の摂取量の減少前に、大人の、特に三十歳代から五十歳代の摂取量がほぼ半減している様子、つまり母さんが、手軽な肉料理を選び、魚料理を面倒がる結果。骨抜き加工品が店頭に並ぶのは、魚屋さんがその販売対応をしている証である。
それはそうとしとして、日本の漁業産業、漁獲量の減少は危惧される。種々の理由があろうが、第一に、漁業資源の減少と、漁業従事者の減少(私が高校受験を志していた年、昭和三六年〈1961〉約七十万人いた漁業従事者は、令和四年〈2022〉には、約十二万人まで激減、更にその内六十五歳以上の高齢者は四割に迫る)である。それに輪をかけるのが子供以前に、お母さんよ!あなた自身が「魚離れ」だよ!。いらぬお世話かも知れないが
   **日本国の食料事情、米離れ、魚離れ、近い将来“国が成り立つのか”なあ~**
 例に漏れず実家、私に代わり弟が漁師を継いで約六十年、昨年末高齢と後継ぎ無しのため「船仕舞い」したとの報。お神酒を送り、地元に残る弟と妹を労うだけが関の山。たまたま、近くの店に「いわし丸干門川(私の郷里、宮崎県日向市の隣町)産」と銘打った乾物が売られていた。つい、故郷の文字、香り、陽差し、思わず手に取ってみた。

  *五月闇あつちこつち飛ぶ昔    (          )
  *タッパーの蕗味噌託す車椅子   (2025.05俳句誌椎の実)
  *兄弟で拘る太さよもぎ餅     (          )
  *啓蟄や此処も昔は海の底      (2025.04俳句誌椎の実)
  *春炬燵居るはずの人が居る隣   (          )
  *菜の花や生家に手押し井戸ポンプ (          )
   グランドに老いの溜り場山笑ふ(2025.05)
 私が「フレイル」という言葉を耳にしたのは、四、五年前、多分令和に入ってからだと思う。語源を直訳すると「虚弱や老衰、脆弱」などの意味。当然、医学思想(老年医学)の先進国からの受け売りだろうが、既に日本の「日本老年医学会」が、平成二六年(2014)英語のFrailityを「フレイル」という日本語訳にすることを提唱したそうだ。
 具体的な症状として、厚生労働省研究班の報告書では「加齢とともに心身の活力(運動機能や認知機能等)が低下し、複数の慢性疾患の併存などの影響もあり、生活機能が障害され、心身の脆弱性が出現した状態であるが、一方で適切な介入・支援により、生活機能の維持向上が可能な状態像」と記されている。(参照/健康長寿ネット)
 今や世間では「フレイルの予防」として「フレイル学会」が設立され、随所で景品付きの「フレイルウオーク」が開催され、フレイルの日(二月一日らしい)まであるらしい。お決まりの「フレイル基準」も作られ、五つの基準のうちいくつかが該当すれば「フレイルだとか、フレイル前段階」だとかお決まりの自己診断が飛び回る。
 私達夫婦、年齢からすると「フレイル」予備軍、いや真っ只中だが、月例の「かかり付け医」の健康診断・相談後、お決まりの薬を(私は痛風予防薬、家内は血圧及び膝痛緩衝薬)を受領した直後も、グランドに直行している。気が付くと、昼食後は、テレビに釘付け、叉は趣味に走ってしまい、ついつい処方を忘れてしまう。薬箱を眺めると、処方薬が余って溜ってしょうがない。二、三ケ月に一回は薬を断る始末。
 今の所、自己責任で「心・技・体」を体調管理?している。「頭の体操」では趣味の俳句作りで机に向かい、「体の運動」はテニスでコートを走り回り、自動車運転更新(高齢者講習/認知症検査、実技講習)」も訳なく?合格。この歳で、朝・昼・晩年中、食事も旨く、酒も飲める。年金暮らしとはいえ、分相応の“かれい(華麗/加齢ではない!)”な生活、あと何年続くかは言うまい。そう言えば、所属しているシニアテニスクラブ、部員約三十人、年齢幅六十歳~八五歳、あいた!あいた!と言いながら、皆元気、元気。昔畑を駆け回る戦後派は、「学会」とは無縁、まして「フレイル」とも無縁。

  *飯台で沈思黙考春の蠅    (          )
  *生得の間合いで侍る春の蠅  (          )
  *野蒜摘む人とレシピを探る  (          )
  *恥少し了ふ抽斗しヒヤシンス (          )
  *用の無き友何時もいて木の芽和(2025.04俳句誌椎の実)
  *山茶花や今朝のセットは八千歩(2025.03俳句誌椎の実)
   人生の教科書とは何だ、新学期(2025.04)
 孫は既に中学を卒業している後期高齢者の身分、今さらデジタル教科書論議をするのは、お門違いかも知れないが、昔、教員の真似事に首を突っ込んでいた者として、つい目が行ってしまう。叉、デジタル化の走りで、教科書としてプログラム学習方式(プログラム形式で学習書は紙)を試行していた関係で、興味は薄れていない。
 先日、小中学校で「紙の教科書」と「デジタル教科書」の使用状況を調査した結果を新聞情報(令和六年九月?)で見た。この調査は、財務省が、全国の小中学校の先生を対象とした結果とある。何故、文部科学省の調査ではなくて財務省なのか不思議だ。文部科学省は、推進の立場からして、有無を言わさずもがなのか。政治屋の駆け引きの匂いがする。
 専門家(情報には“専門家”とあるが、何の“専門家”なのかなあ!)の意見も縷々述べられているが、どっちつかずの“せんもんか”意見(私、素人でも言えそうな)を並べているし、現場の先生方の意見も十人十色である。論争は、優劣つけ難い、叉、決定的な 優劣が付くものではない。教育とは手段で極められるものではないのだがなあ!。
 つい最近まで、孫たちの家庭教師的な立場にいて、彼らが残した参考書、教材、テスト問題、配布資料が、私の本棚の大部分を占めている。配布資料用紙(プリント)の残骸を、裏紙として再使用しているが四、五年経つ今も消化しきれていない。何故か「教科書」は一冊もない。紙にしろデジタル版にしろ、「教科書」は、教室で使われているのかなあ! 教室では受験対策版参考書(紙版)が大手を振っているのではないのかなあ!
 更に老婆心ながら、国家の根幹をなす子供の教育、教科書もさることながら、それを導く「先生」の養成は大丈夫なのかなあ? 教科書の形式論争と同時に、それを展開する“先生の生き様“という教科書(先生像)創りが忘れられているような気がする。
 学校で配られる、どのプリントを見ても人間(先生)の匂い“手書き”はない。全て何処かの参考書の継ぎはぎコピーか、配布用専用の業者版のようだ。現在の学校の先生、楽だなあ! しかし、先生としての存在がないようだなあ 孫に「担任の先生、どんな人」と聞いても首をかしげることしきり!!

  *斑雪じゃんけんぽんで鬼になる(          )
  *大寒や煙突だつたでくの棒  (2025.03俳句誌椎の実)
  *クレパスのこびる抽斗し梅の花(2025.04俳句誌椎の実)
  *無口でも良い面構え山眠る  (          )
  *先生と数えては掃く落ち椿  (2025.03読売新聞佐賀版)
  *春近しハイ一回手を挙げて  (          )
   県跨ぎ句友来たりしプラタナス(2025.03)
 佐賀に転居して十二年になる。観光旅行途中に寄られた親戚、バルーンへスタ見学に来佐された知人、里帰り・墓参り途中に顔を出された会社員時代の同僚等何人かの訪問を受けた。泊りがけの方もある。その中で、昨年十一月末に思いがけない知人の訪問を受けた。
 家内の昔のテニス相棒である。「佐賀に所要があって来る。途中、時間がとれるので、久しぶりにテニスをしませんか」と言うお誘いの電話。家内は、古いアルバムを開き、懐かしむように応対をしていた。同時に、テニスコートの予約に走った。  

・旦那さん(弁護士)に同行という事なので、インターネットで調べたところ、
 ※九州・沖縄各県の弁護士会の連合会が、佐賀市で九州・沖縄八県の弁護士会で構成する九州弁護士会連合会(約350
  人)の定期大会が十一月二九日(金) 佐賀市で開かれ、「信じて託す老後の安心」をテーマに、シンポジウムを開き、
  高齢者などの財産を守るために弁護士ができることなどについて議論を交わしました。     //とありました。

 実は、奥さんの顔は知っていたが、直接話をしたことはなかった。ただ、家内からは“「俳句誌椎の実」に投句している方“という話は聞いていた。つまり、私にしてみれば”“句友”になる。私、ちんたらちんたら俳句を作ってはいるが、結社にも所属せず、俳句会的なものにも参加した事は無く、一匹狼(いっぴき羊かな!)であり、“句友”らしき人とか友との面会は初めてである。俳句を話題とすることも中学校時代の恩師以来である。
 会ってすぐ、吃驚することになる。実は旦那さんは、私の高校時代の一年後輩、私が三年生時の担任の先生の教え子であり、卒業後も先生御夫婦と親しい間柄だったそうである。たまたま先生宅の“家仕舞い”の時に、書籍の処理を頼まれ、その一冊に私の卒業時のアルバムがあり、今回持参してくれた。
 実は、私、このかた自身の卒業アルバムを所持した事は無く、自分が写っている写真を懐かしんだ。人生には、意外な結び付きがあり、意外が更に意外を生むこともあるもののだなあ!。

  *肴下げ句友現る石蕗の花    (2025.01読売新聞佐賀版)
  *人並みに老ふれば宜し寒烏   (2025.03読売新聞佐賀版)
  *山眠る溶岩膚の目玉焼き    (2025.02俳句誌椎の実)
  *まだ何か足りない気分にごり酒 (2025.03俳句誌椎の実)
  *家計簿にメモる一行雪になる  (2025.03俳句誌椎の実)
  *切干を解す妻いて令和かな   (2025.02俳句誌椎の実)
   教え子の眠る病窓シクラメン(2025.02)
 昨年の十月、私が勤務していた会社が設けていた各種学校「旭化成工科学院」の教え子の「古稀同窓会」に参加したことは前述した。場所は、この会社の製造部門工場群の一つである水島地区(倉敷)であった。水島訪問は、私が現役時代、会社の水島地区ある部門での会議参加以来、十数年振り、今回は、既に退社して二十年たつており、久々の訪問であった。当日の宿泊地が「美観地区」の近くのため、家内と散策も試みた。
 しかし、もう一つ訳があった。家内の兄が水島に「ねむっている」。平成十三年(2001)四月に病死している。この義理の兄は、当社水島工場の社員であり更に当該学校の卒業生でもあった。その墓参りを兼ての水島訪問。今も水島に家や家族は残っており、この際、再会を楽しみにしていた。折角だからとこの家に一泊ご厄介になる事にした。墓仕舞いが話題になるこの頃、義姉には立派にお墓を守って戴いている。感謝しかない。  私には、更にもう一つの目的があった。今回古稀同窓会を開催した三年後輩で私が担任をした教え子が、早期退職後、水島で飲食店を経営していた。彼の店には、昔、社員時代一度立ち寄っており、平成二九年(2017)、延岡で開催された同期の「還暦同窓会」の折にも、近況を話し合っていた。今回、折角だから彼の店にも顔を出すつもりで、約一ケ月前に一度電話したが、忙しい時間帯であったため、直接話さずに切った。
 翌日の夜に、昔の同僚(共に工科学院で教師をしていた仲)と店に顔を出してびっくり。数日前本人、お店で倒れて現在入院中とのこと。病院を教えてもらって翌日、佐賀へ帰る前に見舞いにいった。重症の症状が見られたが、話しは通じる状態であり即命に係わるとは思われず早々に別れた。その後私は、佐賀に帰り、白内障手術後の養生期間も明け、鳥取ネンリンピックへ向けて付け刃の練習に努めた。晴れて十月十九日からの大会に臨んでいた。ところが十月二十日二十時前に、先の同僚からの電話で、彼の死亡が伝えられた。
 天命なのか寿命なのか、致し方のない人の命。先生より先に逝くのか!と絶句。先の古稀同窓会の同窓生の一人(これも私が担任)も、昨年夏に他界の報が届いていた。
 後日、同僚より、奥さん、娘さん、お孫さん、私が一緒に、店で映った写真が送られてきた。

  *冬の雨柱時計と昭和の児  (          )
  *手と足を束ねる声や寒稽古 (2025.01読売新聞佐賀版)
  *思いつめぽつりと語る冬の雨(          )
  *冬の雷漫画でめくる日本史 (          )
  *先生も生徒も一人零余子蔓 (          )
  *にさん枚離れそびれて柿紅葉(2025.01読売新聞佐賀版)
  白髪のおかみすつぴん秋時雨(2025.01)
 令和六年(2024)十月、第36回ネンリンピック鳥取大会に参加した。硬式テニスの部である。メンバーは男子六十歳代、男子七十歳代、女子六十歳代各ダブルス三ペアーの団体戦である。昨年に県予選があり、私達が出場した男子七十歳代ダブルスでは優勝しなかったが、諸般の事情で、上位者が次々辞退したためお鉢がまわってきた。
 私達ペアー(七十歳代)、この機会に鑑み、私が七十八歳で、後がない年だという配慮で相棒(七十二歳)が配慮してくれた。県代表とは言いながら、この競技、観光促進の類の企画の一種、交通費、宿泊費、その他を含めて手出し約数万円程度必要、人気は良くないと聞く。更に、その開会式参加時の県指定のユニフォーム代が約一万円かかる。結局は、テニス参加者六人全員、開会式には出ないと申し合わせ、ユニフォームは購入しなかった。
 テニス大会は、各県都道府県、政令指定都市等六四チーム参加、場所:鳥取ユニバーサルスポーツセンターノバリア、テニスコート十六面を使用して二日間で開催された。一日目四チームのリーグ戦、二日目は一日目の成績順位毎の十六チームに分かれてのトーナメント戦。私達ペアーを含めて、我がチームの成績、力を発揮する間もなかった。
 しかし、テニスコートを含めた運動施設、併設されている子供の遊園施設、バスの十台も横づけできる周回道路併設のゆったりとした駐車場。二泊三日後、佐賀に帰ってきたが、佐賀は当時「国スポ」開催中。選手団の駐車場確保のため、至る所許可者以外の侵入禁止監視要員のガードマンが張り付く。鳥取―ゆうたり県と佐賀―がさがさ県の違いか!
 印象に残るのが、宿舎である。昭和二十年代(1949)築の木造二階建て、鳥取市内吉岡温泉郷「薬師湯 新生館」である。バス、トイレは共同仕様であるが、流石“温泉”は上々であった。食事には圧倒された。最近のホテル食は、殆どが朝も、夕もバイキン調であるが、ここは違った。座敷での共同食事であったが、朝でも五皿以上の配膳食。その後、貸切バスで競技場まで行くことになる。あちこちの路地から十人、十五人とテニスバックを持つ選手団が出てくる。
 ここは昔言う湯治客相手の旅館街。数階建てのホテル宿泊が普通の昨今、懐かしい風景に写真をパチリ。女将のシャキシャキとした声、白髪が目に浮かぶ。

  *湯の音が漏れ出て野天秋の暮   (2025.01俳句誌椎の実)
  *天高し溢れるほどに目薬を    (2025.01俳句誌椎の実)
  *ルイビトンバックにバッタ躊躇なく(2024.12      )
  *コスモス野人差し指で五重まる  (2024.12      )
  *不揃いの輪切り沢庵妻は風邪   (2025.01俳句誌椎の実)
  *吾が寿命おまけがついて栗ご飯  (2025.01俳句誌椎の実)
 ※今回のホームページ開設を機会に、再度「俳句考」に挑戦。同胞来たれ、俳句、文句、冗句何でも来たれ。ホームベージ上で口角沫を飛ばそうぞ!! メール受付、待機中!!