俳句趣味<俳句手帳片手に散策考> page047i.html  

 ※ 九稿/ぐう〜の音が出るまで待とう善いハイ句(2021.03.10記録 2021.10.10/2025.10.29追記)
  私は昭和二十一年(1946)生まれです。終戦直後の食糧難時代を乗り越え四分の三世紀を生き延びたこ  とになります。昭和、平成、令和の三元号を乗り越えたことにもなります。家業が専業漁師でしたので、  喰うものとしては魚介類が主食のようなもの、売れる魚は売って生活費を稼ぎ、残った雑魚で命を繋いだ  のでしょう。   今生き延びて、と言うか生かされて、いい年になった頃合い、突然の降って湧いた「コロナ世界大戦争  」の体験最中にあります。それに輪をかけ、ここ数年は、あの第二次世界大戦の恐怖(私は、戦後生まれ  のため、経験していません)が醒め、世界のあちこちで、再度か再再度か“ボカン!ボカン!”と本物の  弾が飛び交い始めた世の中です。   此処での本題「おりおりのうた日誌」に戻ります。手を染めたのは二十歳過ぎからで、しかも飛んび飛  んびの「一行日誌」というか“はいく”に名を借りた、五・七・五調の単文綴りが中心ですが、足掛け四  分の二世紀になります。頼りの「いたるところにしみがつき、表装も破れかぶれの三年日記」も、あとわ  ずかなページ数しか残っていません。付箋紙あり、消線あり、ペンや鉛筆での修正箇所あり、修正液の後  が盛り上がっています。   よく何千行も出来たものです。それが全くの同一句が無いのも不思議です。   世の中を見回しても、実際自分自身で調べたことはありませんが、数億・数十億以上の一行句が生まれ  ているはずですなのに、同じものがないというのは日本語彙(新・古漢字有り、ひらがな有り、カタカナ  有り、数字あり、ローマ字あり、アルファベツト有り等)のからくりでしょうか。   更に、考えようによっては、小説や数行からなるポエムではなく、漢字だけで構成される漢詩でもなく、  語彙は何でも良く、たった五・七・五の十七音の一行からなる、誰でもどこでも気軽に書き留められる短  文「俳句、はいく、ハイク」だからなのでしょう。   この稿も今回で九稿目です。過去を振り返ってみると、独りよがりの俳句作りを続けていた私も、たま  たま他人の作品についての鑑賞文を求められたことを思い出しました。従って、どうしても他人の作った  俳句をじっくり読み、眺めて返す必要に迫られたことがありました。平成四年(1992)恩師「三輪先生」の  墓前に手を合わせた直後、二度目の作句に挑戦しようとしていた時期の事です。   当時の「作句に臨む気持ち」を文字に著さざるをえなかったものです。投句を始めた「俳句誌遠野火」  の誌友投稿欄掲載の求めに応じ、当該句誌中に“一句鑑賞と言う作文”提供の要請でした。実際は、句の  鑑賞というよりも、自分勝手な“思い”の投稿でしたが、当時、こんなことを書いていた、考えていた、  臨んでいたという記録です。   しかし、約三十年振りによみかえしてみる今日ですが、今もこの時の思い「作句に臨む姿勢」は変わっ  ていないなあとの実感と同時に、相変わらず進歩していないなあ!と自分自身感心する次第です。  *「俳誌 遠野火」編集部から、「遠野火一句鑑賞」という題で、俳句鑑賞文の依頼がありました。趣旨   は「平成六年(1994)九月号作品(遠野火集、雑詠含む)より一句選び、四百字程度で自由観賞して下   さい」というものです。掲載は「遠野火集、十二月号」で した。    〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜   遠野火一句鑑賞       「人の愚痴聞いているふり心太」             杉本 秀    独りよがりの私には、今でも句の善し悪しが分からない。この句にはどういう意味があるのだろうか、   どうしてこんな句が出来るのだろうか、疑問だらけである。そんな中で、何やらわからないままに“ス   パッ”と感じる句に傍線を引いて読み返す。これが私流の勉強ということなのかなあ!    揚句はそういう私が、そんな“スパッ”とを感じた句である。さて、この句を何度も読み返している   うちに、深く反省させられるある一事が浮かんで来た。今年の四月から入院生活を余儀なくされていた   知人が、先月亡くなったことに関する件である。    生前、その知人の奥さんが何時も病院に付き沿っておられ、見舞いに行くと、現在の病状、回復の兆   し等事細かく説明してくれていたものである。その度に「もう少しの辛抱ですね」との決まりきった挨   拶をして辞していたようである。    思えば、言葉尻だけの相槌を打ち、愚痴を聞いてやる程度でしか接していなかったのではなかろうか。   奥さんはそれに対して、どういう受け止め方をされていたんだろうか。恥ずかしい次第である。本当に   お世話になった人だったのに。まだまだ教えていただくことが沢山あったのに。知人夫婦には子供さん   がいなく、今からは奥さん一人である。親身になって愚痴を聞いてやりたいものである。ここまで書い   て、この句が私にスパッと来た感じの糸が手繰られたようである。                                                   平成六年(1994)十月    〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜   叉、毎日パソコンと睨めっこしていた会社員時代の延長で、以来パソコンが生活に欠かせない今日(一  方、携帯電話は止むを得ず持っていますが、スマホには手を出す気が無く、今だにガラケー)です。最近  暇に任せてホームぺージ二件に関わり始めました。一つは、私が会社員時代の仲間(教え子)のと情報交  換の場として、もう一つは趣味のテニスに関連する「佐賀県シニアテニス連盟」の連絡版です。   そのパソコンの中に、昔適当の打ち込んでいたファイル、俳句に関連するある文書が残っていました。  何かの抜き出しでしょう。出典は不明です。   *俳句作りのコツの一つには「俳句つくりではまずの日本語(日本のことば)」で、    *文句を練り、文句を意味のある字句で表現する。意味のある字句にする場合、まず   *漢字にするか、ひらがなか、漢字ひらがなまじりにするかを試案、次に出来た句を   *声を出して読んでみる、この時のリズムが取れるような大和言葉を更に推敲する。   *この文字にした時の、それを文字に表した時の余韻も大事な要件である。    (俳句は全部丸ごと言ってしまわず余韻が大事)   *俳句は小さな詩型、一句の中に山とか谷と焦点とかをしっかり捉えること  のような内容です。これが、俳句の出来栄えに関して、私流の「スパッ(これが、余韻というものなのか  も知れない)」と来る”感じ”の元と言のでしょうか。何時頃、どんな時に打ち込んでいたかは定かでは  ありませんが、関連の大会とか講演会とかにも参加した記憶がないので、何かの本の抜き書きでしょう。  俳句作りの一つのヒント、初心の初心のように”感じ”ました。改めて・改めて、この”感じ”をこれか  らも意識した「一行日誌」作りに専心したいと思います。   きしくも元号が令和の変わってから、再度の挑戦、毎月「椎の実」に投句を初めてから早いもので、も  う一年以上経過しました。今回の挑戦は息の続くかぎりとのおもいです。振り返れば、断続的にではあり  ますが、過去には他の俳句誌、雑誌、新聞の投稿欄に応募したこともあり、機会があれば(作句が増産出  来ればでの話)それらにも触手を延ばしたいと思います。   作句、投句が続くにつれ、たまに、私の俳句も、選者の“評”の対象となることがあります。その“評”  さえも、殆ど無関心で読み流し、時には、私の詠んだ心境とは違う。たった一行の短文に、二行も三行も  の解釈があったもんだ。勝手な解釈もあるもんだなあ!と、解釈の解釈をすることもありまましたが、素  直になって読みかえしてみました。  《宮崎延岡の一会社に就職し、新聞投稿。初めて、選者の“評”が載った句です》  *一番最初の評句 「青畳白玉椿飛んで来む」 昭和四四年三月三日 読売新聞宮崎版   神尾久美子氏評“新年のために替えた青々とした畳に、庭の白玉ツバキが今にも飛んで来はせぬか、そ    ういった句意。かおり高い青畳と、清らかな白玉ツバキが、お互いにその印象を鮮やかなものにして    いる。ことに下五の「飛んで来む」に、作者の自由な詩情の展開をみることが出来る。  《俳誌椎の実の再挑戦し、初めて、選者の“評”が載った句です》  *俳誌椎の実の評句「恙なく老い揚げたての零余子串」令和二年(2020)一月号   布施伊夜子氏評「串に五つ六つ刺してある零余子の何と旨そうなこと。気心の知れた女将の季節の肴か    も知れないし、家での晩酌の一品かも知れない。いずれにしても日々是好日。   最近、遅ればせながら(八十歳に近づく)作句の糧として読む気になった本もあります。その目に留ま  った関連本の一つ、「あなたの俳句はなぜ佳作どまりなのか!(辻桃子著 新潮社)」の“まえがき”に  よると、俳句・作句は、作ることのみならず「句会すること、吟行すること、読むこと、選句することが  “たのしい”とか素晴らしい“ことなのだ」との趣旨が綴られていました。   私にとっては、約五十五年前に初めて「三輪先生」から、洗脳!された時はいざ知らず、令和元年  (2019)年末から俳句再々開からは、“楽しい”と言う感覚ではありませんでした。応募する数の「句を作  らねば」が先立つ反面、「作句が間に合はなければ提出しなくても良かろう」と、高を括り、切迫感はあ  りませんでしたが、提出期限が迫れば、寝床の中でも月提出七句を文字にするノルマが頭から離れません。   やはり、今後も作句を続けていくのは、句会も探さず、吟行も行わず、読むこともせず、選句もしない  作句姿勢、少しは反省すべきかも知れません。どうも、性格からして句会や吟行は、出来そうにはありま  せんが、他人の句を眺めつつ、「選句をすること」や「自分なりに解説―情景の共有」することへの脱皮  は、対象が何時も手直にあり、考えなければならないと思うようになりました。   また、作者の意図する意味とは違うかも知れませんが「俳句は下手がいい」、「下手でいい」のではな  く、上手でありながら、下手のように感じさせるごろりのろりとした句がよい、と書かれています。分か  ったようで分からない文書ですが。私は額面通り、下手は下手なりに五・七・五と腹をくくりながら、書  き続けよ うと思います。