| 多布施川藻様【2023.03.05上梓 平成八年(2026)年度版 <佐賀市多布施住人 木浦>】 光陰矢の如し、特に歳を負うにつれその速さは鉄砲弾のような! とでも言えそうです。ところで、たまたま平成六年に訪問を受けた誌友から受けとった私の「高校卒業時のアルバム」が更なる幸運を齎してくれました。 昨年十月、鹿児島、熊本、佐賀に住む三人の同窓会を開く機会を得(六十年振り)、そのアルバムが酒の肴に貢献してくれました。三人とも卒業時には入手しておらず、初めて見るクラス集合写真に見入っていました。 今年は、人生の区切りの一つ「卒寿」を迎えます。随想の話題が百話を超え、段々話の種が尽きてきていますが、命続く限り、周りを漁ろうと思います。月々一歩、庭々散歩 多布施川藻様月誌【令和八年版 2026.07.10更新】 ・おりおりのうた日誌(再掲版/第九稿 2025.10.29掲載) |
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朝刊の折り目卯の花腐しかな(2026.07)/№115 私は、今だに新聞派である。思えば、学生時代までは殆ど縁がなかったのだが。新聞とは、生活に余裕のある人種の一般教養書みたいなもの。それらに接しなくても、普通の人間の世渡りには・世間には通用する程度の“もの”としか考えていなかった。それが、会社に入社以来欠かせないものになった。会社人・社会人としてお付き合い上の話題の引き出し。業務上(安全衛生分野)、会社関係情報の知見及び趣味で始めた「俳句」の新聞地方欄への投稿のためである。一方、政治とか株式関係には殆ど目が向かない。 購読は、A新聞とY新聞を交互に採っている。他意はなく、たまたま購読勧誘者に誘われてとか、趣味の欄があるか無いかで決めている。現在は、朝五時前後に眼を覚まし、ベッドに横になったまま一時間以上読み耽るときもある。参考になる記事には付箋紙や赤鉛筆で印を付ける。後で家内が読み終わるのを見計らい、スクラップする。参考になる記事とは、俳句投稿欄やその関連部分及び、「多布施川藻様」に関する参考欄が殆どである。 最近思うに、新聞―随分薄くなったなあ~!、昔は、40ページ弱前後だった気がするが、今は30ページ弱になっている。しかもある日の新聞26ページ。全面広告4ページ、1ページのうち5分の1~11分の3が広告の分を足すと3ページ分、テレビ・ラジオの欄ニ2ページ、株価の欄2ページ、合計11ページ、これ等が全体の40%、差し引き記者さんが執筆されたと思われる部分は60%となる。 新聞社も、一種の製品製造会社であり作成機材や原料の物価の上昇、労務費の高騰は止むを得ない状況であろうが、それに見合う購読料の値上げは甘んじて受けてきたつもりである。それにつけても、“読み甲斐”の無い新聞になったなあ! 今は、三十分足らずでひと廻りしすることも多々ある。そろそろ新聞購入をやめようか、必要な日のみコンビニで購入するか! 必要な部分は図書館でコピーするか! パソコンは毎日開いているので、インターネットで済ますそうか! 元毎日新聞記者さんが「新聞がなくなる日」という著者の見出しで“日本の大新聞は二〇三○年には死滅するだろう”と書いていたが、それはあと四年後である。
歴史には残らぬ土方夏帽子(2026.06)/№114 | 熊本地震。平成二八(2016)年四月十四日前震、同十六日本震から今年で十年。観測史上初めて震度7を二度観測。熊本、大分両県に人身被害を含めて大きな災害をもたらした。私たちが郷里宮崎に帰る時によく利用していた阿蘇大橋(私達は「赤橋」と呼んでいた)が崩壊し、走行中の大学生が車もろとも巻き込まれた事例が頭に焼き付いている。 阿蘇地区の玄関口にあたるこの橋の復旧工事は急ピッチで行われ、令和三年(2021)年三月、崩壊地より600m南に全長500m余りの白い「新阿蘇大橋」が完成、以後何度か利用している。耐震性等格段と向上し、地域の交通網の利便性に貢献しているとのこと。 この地震で熊本城の石垣群が全体の3割に当たり崩壊やふくらみの被害が生じた。国の文化財に指定されているため、石垣と言へども崩れた表面の石(築石/つきいし)一つひとつを元の位置に積み直す(伝統工法)ことが原則。伝統工法だけでは、石垣の安全性を保たれないと判断される場合のみ、必要最小限の現代工法による補強が施されるそうだ。 鉄筋コンクリート造(この城も、昭和三五年(1960)天守を同造で再建)、ブロック造が普通になっている現代、復旧工事に取り組む石積み、石工の確保が大きな課題となっているらしい。今年の四月十七日NHKテレビ番組「ザ・ライフ熊本地震十年熊本城復旧への道」で、復旧作業に当たる人々、その技術の検討等をじっくり見せて戴いた。 その映像の一コマ。工事関係者とその母親の会話で、母親が「熊本城は、加藤清正ではなくて私達が作ったのだよ/(多分、熊本城復元整備事業時<1998~?>に現場作業員として従事したか?)」と言ったという。この言葉、とても印象に残る。 築城、城普請と言えば、小説「天下城、獅子の城塞/佐々木譲著」が思い起こされる。多分、大部分はフィクションであろうが、安太衆(近江の比叡山山麓にある穴太/あのう)の城石垣築工技術。成る程、安土城は織田信長が作ったではなく安太の石工が作ったのか、と感激した記憶が蘇る。それにつけても、熊本城全体修復二○五二年まで続くらしい。クレーンやショベル等の重機がふんだんに錯綜する現在にしてもだ。人力作業だった時代熊本築城に何年かかったのだろう! 昔の人の「知恵」「技術」には恐れ入るばかり。
隠す者見せびらかす者通信簿(2026.05)/№113 | 年度末と言えば、まず学校の卒業式、在学生は通知表(通信簿、連絡簿、成績表等々)の授与、仲間に堂々と見せ合う場面あり、隠れてひっそりと開ける場面あり。成績の良い児悪い児、頑張った児、遊び惚けた児、成績なんて意に介さない児、それなりに紙面に見入る姿は微笑ましいものであった。 成績表と言えば、吃驚した思い出がある。過去の随想で何度か、私が企業内各種学校の教員の真似事をしていたと書いている。曲りなりにも「学校」だから、年度末には「成績表」の授与があった。その中の卒業生・子供の一人が、約四五年後の還暦同窓会に、私が書いた「本人の成績表」を持参し、私に渡してくれた。 この成績表は、高校相当のものであり、評価は各科目の定期テストの点数、クラスや学年の成績順位評価である。加えて担任教師によるコメントが記してある。成績、コメントに対する保護者の一筆、認印が押されている。私とその卒業生、その後も同じ会社での成長(?)過程を辿る事が出来る代物。コメントが功を奏したかどうかーーーー。 通知表等々は、本来「学校での子供の勉強面や生活面の状況を保護者と共有する方法の一つの手段」だが、最近の学校、特に小学校では廃止する傾向にあるらしい。「通知表」では、適性(学力の事か?)を測り切れない(昔の先生は、立派に?測っていたはずだが)とか、教員の負担となっている等が理由だそうだ。 では、どういう代替え手段が、より適性を測ることが出来るのか。本来の使命以外で忙しく本命を全う出来なくなった業務上の言い訳いではないのか。教員の本来の仕事は子供の一人ひとりとの結びつきが負担事ではないのか。教師の業務とは何だ。通知表で、生活面を含めて成績に一喜一憂してきた年代には、本末転倒の学校対応のように感じる。 流石に私の小学校時代の通知表は見当たらないが、子供の通知表は殆ど残している。教科毎、教科のねらいの評価(○△)と成績の5段階評価、行いの様子は◎○△、身長・体重等の成長の記録、出席・欠席のようす、学校(先生)と家庭との通信欄、上級学校へ進級の折、結婚の折、子供(私達にとっては孫)が出来た折、開く楽しみである。
春時雨今日も居酒屋デイベート(2026.04)/№112 | 「職場の飲み会は必要か?」を議論するコラムを見た。私の社員時代、そんな事(必要か否か!!)を考えて「飲み会」に参加した記憶は無い。一会社に入社(昭和四三年/1968)して数ケ月、仕事にも慣れ、緊張感も多少解れた頃、職場の同僚・先輩・上司とも気安く話が出来るようになった頃、「おい!帰りに一杯どうか!」と声を掛けられる。「いいですねえ!」気心の知れた二、三人で、居酒屋やおでん屋にしけ込むことになる。 先輩の新入社員時代の話、先輩の先輩や上司から鍛えられた事、上司の性格の話、厳しかった先輩の名前、仕事上で優越感に浸った事、失敗した事。酒が入り饒舌になる先輩、もっぱら上役の講釈を聞く方に回る。時には、愚痴や不満が口に出る。趣味や特技や、家族の事に広がる。こちとらは、そうですか、成るほど--- 聴き役一方である。 幾つかの工場が集まる地区には、社員同士が酒を酌み交わす施設「社員クラブ(会社経営?)」もあり、常連の「金魚の糞」として行くこともある。ここは、他の工場の社員との交流の場。工場間の転籍もあり、先輩達の交流の広さに関心するばかりであった。 当時は、仕事が終わってやる事と言えば、もっぱら「パチンコ」か「マージャン」が主力で、パソコン(ゲーム)や携帯電話の無かった時代、酒席の人付き合いが“仕事の息抜き、自己主張の場(口に出して、色々な思いを発散する)であった。飲み代は、先輩・上司の“おごり”もあるが、業務上の接待以外は、殆どは“割り勘”か“役職割(役職応分の支払い)”であった。 最近よく耳にする「飲み会は、仕事上に必要無い、社員の負担軽減になるので不要」、「愚痴や不満の溜り場になりばかり」等に対して、そんな捉え方をする時代になったのだなあ!と思う。私達の時代、確かに上司の悪口や仕事の不満が出る事があるが、酒の席だよとおおらかであった。まして、飲み会に強制参加との意識もなく、組織の一体感やチームワークの向上なんて考えもしなかった。「飲み会は飲み会以外の何ものでもない」「飲み会は明日のエネルギー」であった。どうこう言う前に、令和の世知辛い巷とは違っていたんだよ!と吠えたい。
パソコンと茶菓子の台や春炬燵(2026.03>/№111 | 今年の一月中旬、新聞の記事の一コマ、ある人のインタビュー記事で「α世代とか、α世代一つ上のZ世代を含めて“ザルファ世代”と呼んでいる」とある。田舎住まいの(佐賀が田舎かどうかはさておいて!)傘寿を迎えようとしている高貴高麗者(?)にとっては、聞きなれない言葉である。 変な勘ぐりをして、Z世代があれば、X世代やY世代もあるはずだ。終戦直後に生まれた私は、何世代なのか。「団塊の世代」とは聞いたことがある語だが、これ等の遡及線上の言葉なのであろうか。暇な人間の座興にインターネットを調べてみた。 X世代とは、アメリカ合衆国を中心に、1965年から1981年(昭和四十~五六年)に生まれた人々を指すそうである。ある写真家の著書によって広まったそうだ。私が付き合ってきた人の多くが、この年代の人種であるが、どんな特徴があるのかは、よくわからない。 それに対してY世代とは、1980年~1995年頃(昭和五五~平成七年)に生まれた世代で、インターネット環境の普及とともに育った世代。Z世代は、その延長線上で1990年~2010年代(平成二~二二年)当初に生まれた世代で、インターネットやスマーフォンが普及し、デジタル環境に非常に慣れて、情報を迅速に収集し、迅速に発信出来る人種。 α世代とは、2010年以降に生まれた人を指し、生まれた時からスマートフォンやタブレットなどのデジタル機器に囲まれて育った人々で、これ等の機器が無ければ生活できない環境に置かれた人々であるらしい。 因みに、私達の世代昭和二一年(1946/終戦の翌年)~昭和三九年(1964/第一回東京オリンピックの年)頃にかけて生まれた人々は「ベビーブーマー(baby boomers)世代と呼ばれるそうである。第二次世界大戦終結後、復員兵の帰還に伴い出生率が急激に上昇したことから、全世界で目を見張る人口動態の変化が社会に大きな変化をもたらした世代。今回の独自調査(?)での大発見である。 後々、勤労者社会現象で話題となる「2007年問題の当事者」になる世代、日本では「団塊の世代」と称される人々。実は、私が「コンピュータ」に触れたのは、以外と古く昭和四二年(1967)、今や、孫達が「α人」なんて想像も出来なかった。
不揃いの色鉛筆と日向ぼこ(2026.02)/№110 | 机の整理と言おうか断捨離の試みと言おうか、新入社員時代に購入し今も現役・木製机の引き出しを開けてみると、そこには懐かしい「筆箱(木製)」が一角に納まっていた。現在は、百円均一で手に入れた「四~五区画に区切られた筆立て」が机上を大きく占めている。そこには、鉛筆、消しゴム、ボールペン、サインペン、カッターナイフ、鋏等が投げ入れたているので、引きだしをめったに荒捜しをすることも無い。 この引き出しには、昔々学校に持ち運びしていた筆入れも収まっている。布製で表面の至る所にはインクの色も染み付き大変汚れているが、こんな類、洗濯などするものではなく、むしろ歴史を留めている感がしている。65歳からの大学通学まで活躍してくれた。その表面に書かれていたメーカー物品名を今もカード等の暗証番号にしている。 私達が「書き」を覚えてから学生時代までは、殆ど鉛筆が主流であり、シャープペンシルやボールペンが珍しい時代。手紙等を綴る場合の清書といえばペン軸をインク壷に浸し、手を汚しながらの手書きであった。昨今の安物輸入品や無印・百円均一品の無い時代、万年筆と言えばメーカー品で高価であった。 現在俳句草稿中心の「メモ書き」は、紙はカレンダーの裏紙の適当な大きさに切りそろえ、鉛筆は孫たちの使い残した半端物を、使い古した蛍光ペンの軸に差し込んで使っている。「もったいない」と言うよりも、手に触れる太さ、感覚が鉛筆そのものの太さに比べてしっくり来る。これを原稿用紙風の紙にインク式ボールペンで清書する。 俳句投稿用の葉書は、カートリッジの差込口が壊れた安物の万年筆をインク壷に浸しながらの提出である。多分、子供か孫が使っていた安物のお古で、インクカートリッジを嵌め込むガイドが壊れている。従って、ブルーブラックのインク壷に付け浸しながらの筆致である。適当な筆圧と筆厚が気に入り、葉書の大きさに対して、十七文字分の字の太さがバランスしているような気がする。はがきや手紙には欠かせない。 追伸で記載すると、私の筆立てには、多分七十年前から居座っていると思われる「肥後守」が依然として光輝いており、カッターナイフより先に眼が行く。 |