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  多布施川藻様【2023.03.05上梓 2023.11.10更新<佐賀市多布施住人 木浦>】
 俳句の師と言うよりも、中学時代の担任(三輪先生)が、俳誌「椎の実」を昭和二六年(1951)、宮崎県東臼杵郡の椎葉中学校勤務時代にこの世に上梓してから、延々と今年で 七十年間超、令和五年十一月号で持って、発行800号となる。主宰も四代目を数える。私が、投句に関わった年限が高々数年であるが、喜寿を迎える年まで、担任の先生の面影が色濃い残像をなしているとは、冥利に尽きる。多布施川藻様散策も板についたこの頃!!
  多布施川藻様【令和六年版 2024.01.06更新】
 令和も六年目となりました。年初そうそう恒例の実業団駅伝大会の熱気も冷めやらぬ元旦に大変な惨事が発生しました。それに引き読いての数々凶事の三ケ日、忌まわしいスタートの年となりました。
 世界を見ても、この一、二年前から地球のあちこちで危険な地鳴りに見舞われています。宇宙船「地球号」は、今後一体どうなるのでしょうか。私の目の黒い内に軟着陸できるのでしょうか。こんな危惧を胸に秘めながら、私は相変わらず、五・七・五の日誌に祈りの言葉を綴るのみです。発刊以来800号を超えた俳句誌「椎の実」にお世話になりながら、少し余裕の出来た分、他の書誌にも触手を伸ばし始めた「青二才のろくでなし」です。
  
2024年3月 2024年2月 2024年1月 2023年12月 2023年11月 2023年10月 トップへ更新 2024.03.10
   昼寝覚黄門様の「まいろうぞ」(2024.03)
 どう言う訳か、この一・二年我が家のテレビには時代劇がよく映る(よく観る)。普通午前中は夫婦共々草テニスで家を空けるが、午後二時からの時代劇アワー「水戸黄門」、夜六時半からの「水戸黄門」は殆ど欠かさない。最近は、「剣客商売」も時々観る。見始めた理由も定かではないが、年寄りのゆったりとした暇つぶしと、殆ど予想通りの筋書きで、約一時間弱の間に起承転結する肩の凝らないドラマなのだからかも知れない。叉昼寝の子守歌的かも、就寝前の頭ほぐしなのかも。
 ところが、思わぬ事態が発生した。ある日外出から帰ってきた時、家内が「お父さん、テレビが映らない」と言う。リモコンの操作を誤った(時々、リモコンの普通操作しないボタンに触れて、変になることがある)のだろうと思い、操作のやり直し、説明書の読み直しをするが、今回に限り埒が明かない。
 最早、専門家に頼まなければと決断。点検叉は修理依頼は有線通信契約会社かテレビ購入店か判断に迷う。テレビそのもののSW操作で画面が光らないのはテレビ側の問題だと断定。テレビ購入時の保証期間(保証書は五年契約、今年の五月末期限)の範囲内との確認で、テレビ購入店に電話して故障の状況を説明すると、早速点検に来られた。
 翌日、修理業者が来訪、故障の状況を確認。結果、液晶パネル一式交換が必要とのこと。ところがこれからが意外な展開になった。既にメーカーには交換補充用の在庫が無いとのこと(多分、新製品にシフト化しているのだろう)今後は、メーカーの修理業者との交渉になるとのこと。
 三日後、メーカーの修理業差が来る。見解は同じ。これからメーとの交渉になるから、修復期日が掛かり、費用(保障以外の手出し分)の追加も必要とのこと。現代の家電機器、量販店の故障保証は五年でも、メーカー側の製造サイクルはもっと短いらしい。私が会社員時代の製品保証とは認識が大変違う。時代だなあ!
 テレビの無い時間、考えた事がなかった。皆さん、スマボの無い生活、考えられますか。ラジオさえ無なかった時代(私の周りでは無縁であった時代)の懐かしさが駆け巡る。あの時代は、あれで結構暇も潰れたし、情報の不便も感じなかったなあ! しかし、約三週間後、修理が終わった(新製品代替え)とたん、齧りつくのは、やっぱり俺も! やっぱり! だなあ
  *山茶花や背骨を伸ばす老剣士  (2024.03俳句誌椎の実)
  *冬日和左八双くじら尺     (2024.03      )
  *寒柝の曲がる影追う十二階   (2024.03俳句誌椎の実)
  *路次一つ延ばす決心冬ぬくし  (2024.03俳句誌椎の実)
  *冬うらら杖の肩越し分かれ道  (2024.03      )
  *日向ぼけ耳掻きながら読みながら(2024.03俳句誌椎の実)
   夫婦和し百五十五歳恙なく(2024.02)
 令和六年(2024)の正月も、この数年と相変わらず恙なく過ぎ去っていった。お歳暮の発送も終わり、年末の三十日、三一日、家の周りの整理と室内の大掃除(少しずつ手抜き気味)及び年末・年始の食料の買い出し(「おせち」と言う程ではなくなった昨今)、切羽詰まった年賀状書き、で何となく慌ただしい気分ではあったが。
 年が明ければ一日の「社会人駅伝大会」、二日、三日は「箱根大学駅」で半日を潰す。これも恒例である。以前勤務していた会社の選手が活躍する「社会人駅伝大会」は、常に成績が上位で熱が入る。社員時代は殆ど優勝するチームであった。
 そんな中、今年の年末年始は悲しい一事に思いが残る。例年「お歳暮」として魚類(焼いたり揚げたりできる様に加工した魚物、刺身に出来る生身等)を送って戴いていた親戚が昨年亡くなった。私の実家の前のおばさんである。おじさん(旦那さん)は、疾うの昔に亡くなられていたが、おばさん一人で、細々と魚類の乾物、加工商を営んでおられた。おばさん夫婦には男の子供がなく(女二人)、私を長男みたいに思ってくれていた。毎年の「お中元」「お歳暮」のやり取りのお礼の電話での「声」が、今年からは聞くことが出来なくなり残念である。こんな事も、年々経験する年になったのだなあ!
 振り返ってみれば、私達夫婦、戦後と言われる昭和二一年(1946)、二二年の生まれで、今年の令和六年(2024)まで、約七七・八年間身近に戦争の実体験のない人生、私七八歳、家内七七歳、二人和して百五十五歳を迎えることになる。
 巷では、荒れ続くこの二一世紀、今ロシアのウクライナ侵攻が始まって二年が経過しようとしている。太平洋戦争の初期、日本軍が国外に展開した戦禍の記録が過る。いきなり外国からの攻撃にさらされたウクライナ国民。若者は、「祖国を守るために戦うよ!」と国外に避難する妻や子供達に語り掛けて奮戦していると聞く。他人事ではなく、我が国の周辺でも、不安な環境に晒され始めている。同じ立場に立たされた時の「日本人」、その時どう行動するだろうかなあ!「日本人」という意識を発揮できるのだろうかなあ!
 戦争の実体験の無い人生、本当に幸せと言えたかどうか。色々な尺度により異なろうが、集まれる家族で、置炬燵を囲み、一家団欒が出来るのは、一つの“幸せ”か!
 時々病院にお世話になるが、親切な「かかかりつけ医」と月一回の健康面談・アドバイスを受けながら“恙ない老後”を一日一歩踏み出している。
  *終日が四コマ漫画置炬燵   (2024.02俳句誌椎の実)
  *冬座敷眼鏡付けたり外したり (2024.02俳句誌椎の実)
  *人間の諸行目配せ寒烏    (2024.02      )
  *自転車の籠に侘助乗せたまま (2024.02俳句誌椎の実)
  *小春日や真一文字に雲の帯  (2024.02俳句誌椎の実)
  *ふあつと来て颯と引き揚げ寒雀(2024.02俳句誌椎の実)
   一休みして叉思案する冬支度(2024.01)
 令和元年(2019)十一月より再開していた俳句作り、同時に俳句誌「椎の実」に投稿を再開した。更に、令和五年(2023)一月よりある新聞地方版にも挑戦し始めて早一年が経過。この度の投稿項目は「俳句」に加え、作句の中でちょっとひねくれた(私感)句を、「川柳」欄にも触手をのす。一回(週)葉書に三首以内が投稿規定であるが、なかなか頭が回らず二句を目標に精力中。
 佐賀に転居した当初(大学編入学・学生時代)にも新聞に投稿していたが、当時購読していた新聞の投稿欄、その欄そのものが消えたため中止していた。適当な選者が居なくなったのか、新聞の画面構成の変更なのか、またまた新聞社経費削減の一貫なのか、その理由は定かではないが突然の消滅であった。俳句欄については、途中から選者の変更があってから、僅か数ケ月後のことであった。川柳欄は今も続いているらしい。
 ひょんな機会に、友人(私が俳句を齧っていることを知っている)から、自分の購読している新聞の地方版には、毎週「短歌」、「俳句」、「川柳」の募集があるとの情報を得たが、その時は、購読新聞の変更とまでは思い切れなかった。新聞はやはり長年読み慣れた紙面が馴染むという思いがあった。更に、今の新聞の購読、各販売店の競争が激しく、契約競争の煽りからか、当家は一年周期の契約をしていた。
 たまたま次の年の契約時期が来た折、踏ん切りがつき(別の新聞の勧誘者の訪問)購読変更を決心。新聞とは不思議なもので、当初は、新聞社が違うと新聞紙面の構成(字体も若干違うのかなあ!)や紙面組に違和感があり読みづらく感じた。一年以上たつが、家内は依然として、馴染まないようだ。何はともあれ、下手な趣味のためだ、我慢してよ!!
 変な気持ちだが、新聞に実掲載される句は、まだまだ月一、二回だが「俳句」より経験の短い「川柳」の方が多いようだ。多分、投稿者の人数の違いにより、紙面を埋めるために選んでいただいたものもあるようだ。やはり、評付の句に選ばれると、悪い気持ちはしない。とにかく、継続の賜物と思っている。
 冬はひたすら、陽のある時は置炬燵、夕・晩は布団の中で、昭和時代に購入した「俳句記歳時記」と「俳風柳多留」を捲り返すのみ。一休み、二休みして叉思案しながらの作句。ここれじゃ!“句力”の伸びるはずはなし、“苦労”しながら文字を綴る日々!   しかし、新聞を開くとき、この爺“ドキドキ”する! この青二才“ワクワク”する!成長していないなあ! 多分一生苦しむだろうなあ!
  *途なりの歳を歩一歩菊日和 (2024.01俳句誌椎の実)
  *一合を緩り注ぐ文化の日  (2024.01俳句誌椎の実)
  *返信は切手二枚張り秋時雨 (          )
  *沙魚日和少し太めの握り飯 (2024.01俳句誌椎の実)
  *恙なく頑固も老いて鍋料理 (2024.01俳句誌椎の実)
  *栗拾う母の姿に拾う栗   (2023.12読売新聞佐賀版)
   吊るし柿吊るし部落は色めける(2023.12)
 今年は柿の“当たり年”であった。ただし、辞書的に「当たり年」と言えば“時候、気候がその食物、果物の成長、実りに最適な条件が満たされ、収穫が多い年、品質が良好な年”となろうが、ここで言う「当たり年」とは、我が家にとって例年になく「柿の贈り物」が頻繁に届いた事をさす。
 故郷の、友人や家内の兄及び従妹の定期便に加え、家内の知人、市内に住む長女のアルバイト先の知り合いからも柿のおすそ分けが届いた。特に、この柿は、その知り合いの庭に実った柿だそうだが、今まで食べたことがない甘さの、採れたての熟し柿のようらしい。
 まず、第一便は家内の幼友達(小・中学時代の同級生)から届いた。町の野菜市場で購入し送ってくれた。次に家内の従妹からの送りもの。毎年、自宅に熟れた柿をわざわざ送ってくれる。この柿の木、家内が幼い時から、時期ともなると自らもいで“おやつ”代わりに貪っていたらしい。子守をされていた七、八歳違う従妹がそれを覚えていて、今や定期便。家内の兄からは、自前の“山取れ”である。
 昔の田舎の家には、庭に柿の木が植えられているイメージがある。今の住居は佐賀駅の近くであるが、現在でも近所の家々には柿の木が見える。数十年前のこの辺り、長閑な田園風景が偲ばれる。この季節、屋根を超えて“赤い実”が連なるる。残念ながら昨今は、成りっぱなし、日晒しになったまま凋んでいく運命。今や、売り物として栽培する以外の柿の多くは、野ざらしの運命になっているようだ。
 ところで、去る十一月初めに、たまたま帰郷した時、家内の知人の庭園で珍しい柿の木を目にした。高さ五十㎝位の柿木である。その木に、約十個のいちご大の実がついている。多分食べられるのであろうが、それより鉢植え、盆栽風、観賞用に格好の品物である。こんな品種に変身して、日の目を見て生き残る手段もあるのかなあ!
 家内は果物に目がない。みかん、ブドウ、梨、桃等の贈り物が届く度に頬を膨らませ、特に柿は好物である。そのまま皮を?いて丸かじり、干し柿にした渋柿は、年末年始に出回る“干し柿”ではなく丁度渋が抜けた程度の“柔柿”状態で口にする。
 う~ん!私は“かき”でも育ち柄、海の“牡蠣”がすき! あっと「柿の葉寿司(鯖寿司)」は好物。十二月に入ったある夕暮れ時、また柿の送り物が届いた。更に、念願の牡蠣も届く。眞に令和五年(2023)は“かき”の“当たり年”だったなあ~!
  *無表情の表情照りて吊るし柿 (2023.12俳句誌椎の実)
  *秋茄子の小振り虫食い残しまま(2023.12      )
  *虫時雨愚痴の相伴する日課  (2023.12俳句誌椎の実)
  *沙魚日和田舎も田舎混ぜ御飯 (2023.12      )
  *紫蘇の実を笊一つ分摘む暮し (2023.12俳句誌椎の実)
  *息を継ぐ経読む人も蜩も   (2023.11読売新聞佐賀版)
   決心は堂々めぐり走馬灯(2023.11)
 たまたま、二週間に一度の図書館通いの帰り道、近所の軒先に“盆提灯”が灯されているのに気が付いた。昔は、盂蘭盆三ケ日付近に、新盆の家だけではなく、どの家も盆提灯を灯す風習があった(私の故郷、宮崎県日向市細島では)。蝋燭から電灯の時代になっても田舎では延々と続いていたはずだ。
 私が、会社員になって、アパートや社宅暮らしの生活に移っても、実家に盆帰省すると、その光景に違和感はなく、風習の中にすっかり溶け込んでいた。
 しかし、長年に渡る社宅暮らし、実家の盆帰省も疎遠になった企業戦士には、正月休みはあっても、盆休みは殆ど縁がなく、自家建設した後は、 当然ながら自宅には提灯はなく、殆ど意識から遠のいていた。
 ※古い家では、過去に必ずといっていいほど、葬儀があり、その年の新盆ともなると、親戚・知人一堂から座敷に飾り切れない程の提灯の進物があり、後々、その中の一つを盆期間に軒に吊す習慣があった。私の里では、今も続けているだろうと思う。  この佐賀に転居してからも、すっかり頭から離れていた。その時期を意識するのは、定期的に食料品の買い出しに通う大型店舗の傍らの展示場で色々な提灯のお披露目を目にする時、明々とした電飾の下で整列して、一つの期間イベント程度の感覚でしかなかった。 今日の光景は、そんな、意識下での一出来事であった。
 盆提灯には、吊るす型と置く型とがあり、また外形上坪型・提灯型や円柱型、竹ひごだけで組み立てられたもの、何本かの木枠がかけられたもの、その一種に“走馬灯”とか“回り燈籠”がある。暮れなずむ風景に、色のついた影絵が悠然と走る。
 何故回るのだろうか,不思議であった。小さい頃は、本当に仏様が帰ってきて手招きされる姿だと思ったこともあった。今の子供、どう思うだろうか。いやはや、疑問を持つ前に、こんな光景に出くわす子供は少ないであろう。
 この動き、中学での理科の授業で解き明かされた思い出がある。お釈迦様でも、仏様でも、その念力ではなく、?燭や電球の熱を利用した風力動力であることを知った。
 もともとは中国から伝わったものだそうだが、日本では江戸時代中期に普通に掲げられていたそうだ。昔むかしの人はえらかったんだなあ!、学校で勉強していなくても自然をゆっくり観察していていれば、分かったことなのだろう。
  *過ぎし日の頁を端折る走馬灯 (          )
  *兄ちゃんの杖に重ねて盆の星 (2023.09読売新聞佐賀版)
  *カーテンの肩に絡まり盆の月 (          )
  *兄弟姉妹相見多互いの菊膾  (2023.11俳句誌椎の実)
  *兄弟は嘗ての呼び名盆の月  (          )
  *家紋入り盆提灯の喫茶店   (2023.10俳句誌椎の実)
   庭花火残り仏間の筒花瓶(2023.10)
 コロナ禍が明けて何年振り(2019年八月)になるか、所沢にいる長男家族が帰省してきた。佐賀には、たったの一泊であったが、本当に久し振りの対面。長男夫婦は殆ど相変わらずだが、子供(孫たち)の成長(身長、顔かたちの変貌)にはびっくりさせられる。この家族、何時ものことだが、今回も帰省にかこつけて、じっくり家族休暇旅行が恒例である。帰りは出雲大社を含め山陰地方を巡るそうである。ご苦労な事に、何時も自家用車で帰省する。殆ど嫁さんが運転するようだが、まだまだ若さ由か、そもそも運転が好きなのか、旅行がてらのため片道千㎞は優に超えるだろう。
 一番変わっていたのは、三人兄妹の一番下の孫娘。小学校低学年時しか知らないキャッシキャッシしたイメージの子供が、中学一年生になっているのである。流石に随分落付きが出た印象、身長も伸びている。顔、形、様子も変われば変わるものだ。日頃ガミガミ言い合う近くに住んでいる孫たちとの印象とは随分異なる。長男は、成長か、恥じらいか、何処となく私たち夫婦(祖父母)に対しては無口になったようだ。真ん中の孫娘は高校生で、大学受験を控えて多少深刻な様子。しかし、両方の子供同士の会話になると、以前の面影が覗き込む。ちゃっかり渡したお金も受け取る。
 思えば、延岡に住んでいたころから、たまたま広い庭に恵まれていたため、帰省した時にはいつも庭花火を楽しむのが恒例であった。手ごろな家庭用花火を購入してきて、夕方頃合い見計らい、庭で家族総出での花火大会。所沢では、自宅の庭で花火をする事自体考へられない環境だそうであるである。“のんべえ”の私は、最後の“線香花火”のときだけ、縁側で眺めるだけであったが。  そうそう、佐賀に転居した最初の夏休みでは、庭のベランダから植え込みにかけて、直 径15㎝長さ3m程度の二ツ割孟宗竹を数本渡して、「ソーメン流し」をした記憶もある。孫たちの喜ぶ姿、製作者、給仕人冥利に尽きたものだった。
 人間の子供の成長は早いものだなあ。一番下は中学生、子供が親の脛齧りから独立すると、爺ちゃん婆ちゃんには見向きもしなくなるだろうなあ。家族で帰省するのも今回が最後であろう。日頃はたった二人きりで食べている夕食、四年振りに十人以上の家族団欒である。私たち、あとどれ位の人生になるか。明日からは、また二人だけの生活が続く。  残った花火の燃えカスや蝋燭跡を“片付け”ながら、縁側に腰掛ける姿は“はてさて”「夫婦」になり、「家族」をつくり、最後は「連れ合い」で座り込むか!。
  *庭花火ぶっきらぼうの救急車 (2023.10      )
  *父と子の手に一本の庭花火  (2023.10      )
  *胸ぐらにドスンと沈む火神鳴 (2023.10俳句誌椎の実)
  *手拭の食み出している夏帽子 (2023.10俳句誌椎の実)
  *よろめくも生きてる証し蝶蜻蛉(2023.10俳句誌椎の実)
  *夏衣伸び縮みして将棋指し  (2023.10      )
 ※今回のホームページ開設を機会に、再度「俳句考」に挑戦。同胞来たれ、俳句、文句、冗句何でも来たれ。ホームベージ上で口角沫を飛ばそうぞ!! メール受付、待機中!!